タレントといかめし屋三代目の二つの顔をもつ今井麻椰さん「やりたいことは即実行!」

2017年02月17日

憧れのお仕事のリアルに迫る!輝く女子のワークスタイル
いかめし屋 兼 タレント 今井麻椰さん

いかめし屋 兼 タレント 今井麻椰さん

1903年創業の北海道森町・阿部商店は、毎年開催される「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で、47回にもわたり売り上げ1位を記録した「いかめし」を製造販売しています。そんな阿部商店のひとり娘、今井麻椰さんは、家業を継ぎ三代目になることを決意すると同時に、なんと芸能活動も開始。「二足のわらじ」を履く異色の経歴が話題となっています。そこに至るまでの心境と仕事に対する想いをうかがいました。

 

いか不漁と職人の高齢化で、家業を継ぐ気持ちが固まった

家業を継ぐ気持ちはいつ芽生えたのですか?

小学校の卒業アルバムで「将来の夢は“いかめし三代目”!」と既に書いてはいましたが、社長である父に、初めて後を継ぐ意志があることを伝えたのは高校3年のときです。ひとり娘ということもありますが、いつか自分が継ぐんだという意識は、ずっとどこかにあって。でも、その時父は「大学を卒業してから考えろ」と言い、大学卒業後には「ほかの畑で飯を食ってから来い」と言いました。

父自身も、社長になる前は仕事で海外を飛び回ったり、やりたいことを好きなだけやってきたようで、余計なプレッシャーを私に与えたくなかったんでしょうね。
ところが父も年をとり、また2011年のニュージーランド沖地震の影響で原料の不漁が続くのに加えて、いかめし職人の高齢化など、いかめし存続の危機を感じるようになりました。

いかめしは私が生まれたときから接してきた、家族のような(笑)ものです。「元祖森名物いかめし」の栄誉がなくなるなんて、自分には考えられないことでした。「何とかしていかめしを守りたい」。その想いが「家業を継ぐ」という強い決意に変わったのは、ここ数年のことです。父は何も言いませんが、本当は嬉しかったのだと思います。

「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で売り上げ1位を誇るいかめし

駅弁界の甲子園といわれる京王百貨店「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で売り上げ1位を誇るいかめし。シンプルな甘辛い味つけと、いかともち米の食感がたまらない

 

アメリカでいかめし販売に苦戦した結果、やりたい仕事が増えた

実はアナウンサーとして活動された経験があるそうですが、なりたいと思ったきっかけは何ですか?

カナダ留学中に、アメリカのニュージャージーで、家業の手伝いとして、いかめしの実演販売をしたことです。日本では、昔から百貨店やイベントの手伝いをしていたのですが、海外は初体験。おまけに現地のアルバイトの方はいたのですが、実質私1人で色々と考えなくてはならなくて。

最初は全くいかめしが売れなかったんです……。いかめしって色は茶色いし、形はいかそのものだし、外国人から見ると、「何あれ?」って思うのか素通りされて(笑)。もう泣きたいほどつらかったです。

どうしたら売れるかと考えた結果、「味はテリヤキソース、中身は大福もちのようです」と、外国人が好むジャパニーズフードに置き換えて、自分の言葉でプレゼンしました。試食コーナーを設けるなど工夫すると、それからは飛ぶように売れて。

この体験によって、家業の大変さが身に沁みて理解できたと同時に、人にものを伝えることの醍醐味を感じたんです。それから「人に何かを伝える仕事がしたい!」という思いが強くなり、アナウンサーを目指すようになりました。

カナダの大学では、英語やマーケティングなどを学んでいたのですが、勉強に対してある程度の満足感を覚えてしまった時期でもあり、自分の方向性に悩んだ末、一旦帰国。アナウンサースクールに通い、「BSフジNEWS」でキャスターを半年間務めました。

いかめし屋 兼 タレント 今井麻椰さん

ふたつの仕事のスケジュール管理は全て自分で行い、日本全国を一人で動き回る

ふたつの仕事の両立で、悩むことはありませんでしたか?

「私の代で阿部商店を終わらせるわけにはいかない」という想いがある一方で、アナウンサーへの夢も捨てられずにいた頃は、本当に悩みました。

BSフジでキャスターを務めた後、実は、大手テレビ局のアナウンサー試験も受けたんですが、当時新卒ではなかったのでチャンスに恵まれず、悔しい想いをしたこともあります。家業を手伝いながら、そういった活動をする時期が1年半くらい続いた時には、結構つらかったです。母からは一般企業への就職を強く勧められました(笑)。

でも、父が「30歳までは好きなことをしろ」と言ってくれたので、諦めずにチャレンジを続けることができました。そんなとき、日本テレビの「沸騰ワード10」という番組で、“いかめし美人後継者”として取材を受けたんです。

 

いかめしとタレントの融合は私にしかできない

テレビ番組が転機になったのですね?

はい。番組の反響は大きかったです。
全国百貨店の駅弁フェアなど、年間250回ほどある催事にできるだけ参加しているのですが、私に会いに催事に来てくれる人も増えました。マスクと手袋をしていかにもち米を詰めている最中に、握手や記念撮影を求められたり(笑)。

でも、「よく家を継ぐ決心したね」「がんばってね」という温かい応援の声を多くいただけるのが嬉しいので、作業中でも手袋を取って、なるべく握手させていただいています。「私といかめしを待っていてくれる人がいる!」と思うと、一カ所でも多くの催事会場へ足を運びたいと思います。

それに、後を継ぐという視点でいかめしの現場に立つと、職人さんたちの苦労や仕事の大変さも改めてよく分かり、働いてくれる人への尊敬の念や感謝の気持ちも強くなりました。

そうこうしているうちに、新しい事務所への所属が決まり、色々と仕事が決まるなど、気づけば自然と両方の道が開けてきたんです。

いかめし業の方はまだまだ他の職人のように素早く作業ができず、修行中ですが、タレントの仕事と調整しながら両立させていきたいと思っています。一方は立ちっぱなしで足がパンパンにむくんでしまう、体力勝負の仕事。一方は外見に気を使いもするタレント業って、矛盾していますよね(笑)。でも、いかめしも人にものを伝える仕事も、私にとっては同じくらい大事で、ふたつで一つ、なんです。

いかめしのレトルト版と、催事の際に着用しているエプロン

2016年3月に発売となったいかめしのレトルト版と、催事の際に着用しているエプロン

どのような将来の展望を持っていますか?

今、私は26歳ですが、父に言われた通り、まずは30歳までは「二足のわらじ」で突っ走るつもりです。不安はありますが、この選択に至るまでたくさん泣いて、たくさん悩んできましたから、絶対に後悔したくない。何度も話し合いをして、ともに葛藤してくれた両親が応援団です。

いかめし業の方では伝統の味を守りつつ、家族で新たな挑戦も始めています。いかめしの味を落とさずにレトルト化し、新商品「いかめしコロッケ」の販売もここ数年で開始しました。さらなる新商品の開発も考えていますし、小学生の頃からの夢なんですが、いつかヨーロッパ進出も果たしてみたいです。私が広告塔になり、もっと若いスタッフを集められればいいな、とも思っています。

プロバスケットボールのBリーグのお仕事をしていることもあって、週末は必ずバスケ観戦に行くのですが、「いかめしの人だ!」って声をかけていただくこともあって、バスケの試合会場でいかめしの販売もありだな、と思っています(笑)。東京オリンピックでバスケットボール選手にインタビューをしつつ、いかめしも販売できたら、最高ですね!

人生は一度きり。悔いのないように、「やりたい!」と思ったら即、実行です。ですから、いかめし三代目として、引き続き全国を回りつつ、タレント業では、キャスターやレポーターはもちろんですが、仕事の依頼があれば、どんなことでもチャレンジして幅を広げていくつもりです。

いかめしとタレントの融合は私にしかできないことなので、欲張りかもしれないけれど、やりたいことを懸命にやるだけです。失敗してもOK。何でも受け止めて、次の成長へ繋げればいいと思っています。

いかめし屋 兼 タレント 今井麻椰さん

 

いかめし屋 兼 タレント 今井麻椰さん今井麻椰
2014年慶應義塾大学環境情報学部卒業後、カナダのブリティッシュコロンビア工科大学へ留学。父が経営する「阿部商店」の三代目後継者として、催事でいかめしを販売しつつ、いかめし作りの習得に奮闘中。その一方で、MCアシスタントやレポーターなどのタレント活動のほか、映画出演も決まるなど、女優業にも挑戦している。

(インタビュー/兼子梨花 構成/風来堂 撮影/清水信吾)