「お客様のお話にワクワク」生命保険営業一筋38年の大ベテランが実践する“人の心をぐっとつかむ”営業術

2017年05月08日

かっこいい先輩に学ぶ!長く働き続ける理由
明治安田生命 中村裕子さん

「保険外交員」が中高年の仕事だった38年前に、20代で銀行から生命保険業界へと転職した明治安田生命の中村さん。地元・中国地方だけでなく、転勤後の東京でも優秀な成績を収めている、トップセールスです。支部マネジャーや営業所長などを歴任、現在は特別顧問となり、まだまだ活躍し続ける中村さんに“生命保険営業”の醍醐味をうかがいました。

 

銀行勤めから専業主婦へ。8か月後には生命保険業界へ転職

私が当時の明治生命(現・明治安田生命保険)に入社したのは、長女の出産直後、25歳のときでした。3年弱勤めた前職の銀行を辞め、子育てをしていたんです。家庭にいることは楽しかったのですが、なんだか気持ちが落ち着かなくて……。

地元、島根県浜田市の保育園には空きがありましたし、私の母は専業主婦だったので、子どもの預け先には困らないと思い、「やっぱり働こうかしら?」と。銀行を辞めて8か月後のことでした。

そのときに、明治生命に長く勤めていた叔母に、営業の仕事をしないかと誘われていたことを思い出したのです。前職である銀行は、お客様が来るのを待たなければなりませんでしたが、営業であればこちらから出向けますし、楽しそうだなと思って。早速連絡をして、浜田営業所で正職員として働くことになりました。

 

毎月の集金とあわせて、お客様に新規契約をご案内

初期研修と試験を受けて正式に採用になり、営業所で3か月の見習い期間がスタート。営業方法は営業所長に聞いたり、先輩の真似をしたりして、自分なりのスタイルを築きました。

その頃の私の仕事は、毎月25日までに、その月の契約目標額を達成すること。当時は、口座振替というシステムもなかったので、保険料はお客様のところを訪問して集金する時代だったのです。

だから最初は、お客様の集金業務をしながら、「これもどうですか?」と貯蓄性商品などをご案内していました。お客様にとって、どんなメリット・デメリットがあるかを分かりやすくお伝えする、ご家庭の状況や将来設計に応じたご提案を心がけるなどの工夫を重ね、信頼を築いていくなかで、徐々にご契約をいただけるようになりました。

 

法人向け保険のご提案を通じ自信がついた

私は当初から、毎月の締切日である25日より早く、15日、遅くても20日までには目標額を達成するようにしていました。25日近くなって数字に追われると自分が苦しいですし、子どもがいたので、急な発熱などで欠勤せざるを得ないこともあるからです。そして、残った月末までの数日で、翌月に向けて動き始めて……の繰り返し。

お客様の状況に応じて、子どもを実家に預けて土日に出勤するなど、とにかく動けるときにはできるだけ訪問数を増やしました。

それでも余裕があったというわけではなくて、結局、毎月苦しみながら全力投球で(笑)。ですけど、せっかちな性分だから、そのやり方が合っていました。ご契約をいただいたお客様から「ありがとう」と言っていただくと、苦労や疲れが吹き飛ぶほど嬉しくて。「またがんばろう!」とモチベーションが上がるのです。

月20日間の活動で、毎日1件は新規でご契約をいただくイメージで実績を積み上げ、3年目に入ると、年間200件以上の個人契約に結びつくようになりました。気がつけば営業所内でもトップクラスの成績に。

そんなとき、地元のある企業の社長と知り合いまして。
その頃の生命保険の営業といえば「おばちゃんの仕事」のイメージが強く、私のように若い女性はほとんどいませんでした。「若い女性ががんばっているね」と応援をしていただき、色々なお話をさせていただくようになりました。

そのなかで、その社長の会社経営のご相談をお受けする機会があり、経営者の退職金対策や事業保障、事業継承の対策などをカバーする契約者向けの商品をお勧めしたら、喜んでご契約をいただけました。

その社長は広い人脈をお持ちでして、「今度あそこの企業へ行ってみるといいよ」などの情報もくださって。それまで個人のお客様へのご案内がメインだったので、新しいやりがいを感じるようになり、それから法人契約を中心に回るようになりました。

そんなことをやっているうちに、中国地方5県を合わせた中国ブロックでの営業成績がベストスリーに入るようになりました。

「当社の営業所は離島も含めて全国に1000か所。営業職はライフステージに合わせて転勤したり、休職してもまた復帰できたりするので、女性にオススメですよ(笑)」

 

相手の懐に自然に入り、まずは聞き役に徹する

35歳のとき、主人の東京転勤を機に、私も島根県から東京のど真ん中、大都会の千代田支社へ移りました。

10年の経験があっても、東京ではまたゼロからのスタート。でも、自分流の営業ノウハウは確立していましたから、あとはがんばるだけです。

生命保険営業の基本はやはり、ひたすらお客様のお話を聞くこと。
まず担当している企業へお邪魔すると、窓を背にデスクを構えている部長さんなどのところへ行き、「今度担当になりました、中村です」とご挨拶をしてしっかりと名刺をいただきます。

そして、例えばそこがエネルギー事業部だったら、「私、不勉強なのでよく分からないのですが、エネルギーのお仕事のことを教えていただけませんか?」とお聞きするのです。すると、「それはね……」と10分くらい話がはずみ、「とっても勉強になりました」と、その日はお礼を言って帰ります。

そして、2週間後くらいにまたその方のところへ行き、「先日うかがったお話を調べてみたのですが、こういうことで合っていますか?」と、具体的に話を深掘りしていきます。

前回お会いしたときにちょっとした疑問をメモしておいて、自分なりに新聞などで調べるんですよ。当時はインターネットなんかなかったですからね。一方的に保険の話をし始めるようなことはせず、あくまで相手の話を聞いて帰る。これを何度か繰り返します。

最初に名刺は交換しているので、私が生命保険の営業だということは、もちろん相手は承知しています。男性は、仕事の話をするのが大好きですよね(笑)。だから、「話を聞いてくれる人」は何度行っても、嫌がられないんです。

とはいえ、次に行ったときに「前の話の続きをしましょうか」という切り出し方ではダメです。時間が空くと、前回何を話したのか相手が覚えていないことも多いので。こちらから具体的な話題を振って、また新たに話が膨らむように心がけます。

話題の幅を広げるほど、相手のことが理解できますし、次の訪問へと繋げることができて、そのうちに「いつも僕の話ばかり聞いてくれるけど、あなたから何か話はないの?」となるのです。

ここに到達するまでには、仕事や会社の話のほか、住まいや家族構成、趣味など、生活に関わることを色々とお聞かせいただいています。それを元にその人にとって最適と思われる保険プランを立てておき、このタイミングで、初めてこちらから提案します。的確なプランでご本人にも納得いただければ、「僕にぴったりじゃない!」となるわけです。

今とは時代が違うかもしれませんが、お客様とじっくりと時間をかけてお付き合いするということは、何においても大切。そして信頼関係を築いた上でご提案ができる絶好のタイミングが来るまで、自分が待てるかどうかがカギですね。

「保険セールスのノウハウは存在しない」と語る中村さん。「お客様の個性もニーズも、全て違うので営業方法は無限ね。それを毎回粘り強く探るのです」

 

お客様同士を繋ぎ、役に立つ存在になる

企業経営者の方々は事業の継続、役員の保障、税金対策など、経営上の悩みがありますよね。お抱えの弁護士や税理士には言いづらいこともあります。

保険営業という仕事は、仲が深まると、お客様からさまざまな相談を受けることもあるんです。そういうときは営業で築いたネットワークを駆使して、どうしたらその方のお役に立てるかを、いつも考えて対応しています。

自らプランを提案することもあれば、有意義な情報交換ができそうな他社の社長さんを引き合わせたり、専門家をご紹介したり。嬉しいことに、皆さん「中村さんに任せておけば安心だよ」と言ってくださいます。

 

生命保険の営業は「人と出会う楽しい仕事」

生命保険は人々の生活に密着したもの。今はニーズも多岐に渡り、多種多様な商品があります。

対面でお会いしてお話することによりお客様のことをよく知れれば、何をお勧めしたらお役に立つか、ご契約していただけるかが分かります。そして、ためになる保険に加入していただくことでお客様に喜んでいただければ、私も喜べる。まさにWin-Winの関係になれるんです。

時には何日もご契約がいただけず、スランプに陥ることもありますが、そういうときこそ営業に出て、人と話すようにしています。そうすることで自分の気持ちも晴れますし、直接保険には関係ない、お客様との何気ない会話から、新しい気づきを得られることもあるんです。

だから、私自身、お客様にお会いするとき「今日は、どんなお話が聞けるかしら」とワクワクします。

この仕事を始めてから38年間、「辛い」「辞めたい」と思ったこともありましたが、その度にお客様や仲間に助けられてきました。本当に感謝しております。

フィンテックや人工知能が話題になっていますが、ロボットがどんなに学習しても、私の営業スタイルは真似できないと思うから、この仕事はきっと奪われないわ(笑)。

定年まではあと3年。その先のことはまだ考えていませんが、今まで通り全力で走るだけですね。

仕事、結婚、出産、家事、育児など、やれることが山ほどあるのが女性。私は仕事優先でしたが、今まで欲張って、できることは全部やってきました。だからこそ社会と繋がり、たくさんの人と出会い、豊かで楽しい人生を送り続けることができているのだと思いますね。

2人の娘さんは結婚して専業主婦に。「私が忙しすぎる母親だったから、反面教師だったかしら(笑)」。3人のお孫さんのおばあちゃんとは思えないほど若々しい中村さん。多忙ななか、趣味のホットヨガでストレスを発散する

 

中村裕子
1955年生まれ、島根県出身。東京女子大学短期大学部卒業後、地元の銀行へ入社。その後結婚し2女を育てる。1979年、明治生命保険相互会社松江支社に入社し、1990年には、千代田支社(東京都)に転籍。2004年には、合併により明治安田生命保険相互会社千代田支社に所属。営業所長・特別顧問・上席営業主幹として活躍、社内表彰・受賞歴多数。生命保険と金融の専門家組織MDRT(100万ドル円卓会議)成績資格終身会員。FP、認定保険士資格取得。

http://www.meijiyasuda.co.jp/

(インタビュー/兼子梨花 構成/風来堂 撮影/三坂修二)