91歳のピザ焼き職人のおばあちゃん「くよくよしない、考えない」自然体でわが道を行く

2017年04月10日

かっこいい先輩に学ぶ!長く働き続ける理由
「築地魚河岸トミーナ」ピザ焼き職人 土井スズ子さん

大正生まれのスズ子さんが、築地市場・場内で唯一のイタリアンレストラン「魚河岸トミーナ」の厨房に立ち、ピザを作り始めたのは75歳のとき。「日々のやることをこなしているだけ」と語るスズ子さんですが、好奇心旺盛がゆえに、さまざまなことに挑戦してきたパワフルおばあちゃんです。今も毎日元気に働く彼女に、「生涯現役」の秘訣を教えていただきました。

 

明日店に立てる保証はないから「私のピザは希少価値大」

ピザ職人っていったって、私は娘の店を手伝っているだけです。誰でもできることですよ。でも、明日私がいなくなっちゃうかもしれないから、希少価値はあるわね(笑)。

使う材料は、あらかじめお店のシェフが準備してくれているの。注文を受けたら、発酵させたピザ生地をのばして、トマトソースを塗り、具をのせて窯で焼くのが、私の仕事。

ピザは不思議で、作り手によって味や食感が違ってくるの。生地をのばすときは、手の平で軽く押し付けるようにしていきます。空中でくるくる回したりなんかしないのよ。

年寄りで力が弱いでしょう? だから生地に程よく空気が残って、生地が厚いわりには、焼き上がりは軽くてふんわりと仕上がります。それがおいしいみたいですよ。

一日に15枚くらいは焼いています。テレビで取り上げられたときは、放送翌日、遠くから飛行機に乗って来てくれたお客さんがいましたし、「スズ子ママのピザが食べたい」って毎週熱海から通って来る人もいます。嬉しいことですね。

ここは場内だから、店のオープンは朝早くて8時から。私は娘や孫と同居していて、家のことを済ませてから11時に出勤、閉店の14時まで3時間だけピザを焼きます。だから「スズ子ママのピザ」は、3時間限定の商品。余計に貴重ですよ(笑)。

体力が続く間は、がんばって店に立ち続けてお客さんに元気を分けてあげなくちゃね。

 

店の味に私流の工夫をプラス

一番人気は「海鮮ピッツア」。ここは築地市場ですから、食材は年中良いものが手に入ります。娘の方針で、料亭に出すようなランクの高い素材を仕入れているんですよ。

ソースに使うトマトも、その時期に一番味の濃いもので、毎朝一日に使う分を手作りしています。ピザ生地、オリジナルのブレンドチーズも娘夫婦やシェフたちが、1990(平成2)年の開店以来、試行錯誤をして作り上げてきたものです。

調味料は少しの塩と、大さじ1杯程度のエキストラバージンオリーブオイルだけ。シンプルで、胃にもたれないピザですよ。これが「トミーナ」流。

「今日はピザの具にこれを使ってみようかしら」とか「チーズがちょっと多くなっちゃったわ」、その日の海老がちょっと太っていたら「今日は背から開こうかしら」、なんて、日によってちょっとだけ違ったりして(笑)。それが私流ってところです。

海老・タコ・イカ・ホタテ・ズワイガニがたっぷりのった、海鮮ピッツア1800円。「ママは採算なんて度外視だから」と娘さんに苦笑される

 

興味を持ったら深く考えずにやってみる

私が66歳くらいのときに、娘夫婦がこの店をオープンさせたの。70歳を過ぎてからお店を手伝い始めたのは、孫が大人になったことがきっかけ。娘が店をやって忙しくしていたから、家で娘の子どもの面倒をみていたのです。

あるとき「ママ、店でピザを焼くのを手伝ってくれない?」って娘が言うから、おもしろそうだなと思って。もしかしたら、私が退屈になって「ちょっとやらせてよ」って言ったのかもしれませんけれど(笑)。

昔から何でも「あら、おもしろそうね」ってやってみるの。娘は、私が好奇心旺盛で、黙っていられない性分だということがよくわかっているので、娘なりに気をつかってくれたんじゃないかしら?

 

20年キャリアを積んだ仕事をやめて世界旅行へ

40代後半から世界旅行を始めたのも、知り合いが「一緒にブラジルへ行かない?」って誘ってくれたから、「じゃあ、行くわ」という感じで。

それまでは、娘を育てながら婦人服のオーダーメイドを個人で受けていました。結婚以来ずっと青山に住んでいたので、おしゃれな方々が多くて、それなりに仕立ての依頼が多くて忙しくしていたんです。

洋服を作り始めたのは、隣の奥さんが洋服を作っているのを見て、私にもできるかなと思って。まねしてやってみたら、できてしまったの。まあ、主人が紳士服を仕立てる店をやっていたので、馴染みはありましたから。

結婚して出産・子育て・洋服作りの仕事と、20年くらいがあっという間で忙しかったので、娘の結婚を機に、仕事をすっぱりやめて、旅行にでも行こうかと思ってね。昔から海外に憧れていたし、多少の貯えもありましたし。今のうちに旅しておかなくちゃ、死んでしまったら旅行に行けないでしょう(笑)。

アフリカに行った86歳のときの旅行まで、世界中を回りました。だって、次々と旅行会社からパンフレットが送られてくるし、添乗員さんや団体旅行の仲間と仲良くなっちゃうから「じゃあ、また行こうか」って続いてしまったのよ。

世界には国が196か国くらいあるのでしょうか? ほとんど行ったんじゃないかしら? きっと家2軒分くらいは旅行費につぎ込んだわね(笑)。

洋服の仕立てをやっていただけにファッションセンスも抜群。一流ブランドの服を着こなすスズ子さん

 

世界中での食べ歩きがためになった

ピザの勉強をしたことはありません。すでに亡くなってしまいましたが、娘の夫であるお婿さんのピザ作りを横で見て、見よう見まねで覚えました。娘夫婦はイタリアで修業をしてきたプロでしたから。

勉強したといえば、世界旅行で食べ歩いたことでしょうか。渡航禁止の国を除き、イラン・イラク・シリアなど紛争前の中東も含めてほとんどの国へ行きましたが、ピザに似たようなものは、小麦があればどの国に行っても大抵あるの。

日本人がイメージするピザよりも、もっとラフで気軽な食べ物です。ちょうど、お好み焼きのような感覚かしら。生地をちょちょっと手でのばして、何でものせて焼いてしまいます。

トルコのホテルでは、薪を組み上げただけのところに、生地を直接のせて焼いていました。焦げているところもありますけど、そんなことは気にしない。

そうして世界各国のピザに触れてきたことが、修業と言えば、修業になったのかもしれませんね。

店を手伝うようになってからは、旅行の際に、あちこちのレストランに行っては食べて、さらに「私、ピザ職人なの。ちょっと焼かせて」ってその場でお願いしたんです。そうすると、意外にも「いいよ、いいよ」って料金もとらずに、材料を全部出してくれて、焼かせてくれたりするんですよ。

 

元気の秘訣は信じた道をまっすぐ行くこと

娘の夫と私の夫がもう亡くなったので、今では私と娘・孫・ひ孫の4世代同居で、私が毎日家事もこなしているんです。

私の1日は、店から戻るとひと休みして、ひ孫が帰ってきて、夕食の支度をして、食べて片付けてお風呂に入って、寝るのは毎日夜の23時か23時半くらい。起床は6時くらいです。日々やらなくてはいけないことがあるから、何も考えず、ただ忙しく働くだけ。

今までの長い人生、ずっと忙しく何かと働いてきたけれど、つらいと思ったことは一度もありませんでした。くよくよ考えているヒマもないし、もともと細かいことは気にしないほうですから(笑)。

「どうしてそんなに元気なのですか?」と、よく聞かれますよ。元気の秘訣といえば、そのときの状況で、どう楽しく過ごすか。そして、「こう」と信じた道を、脇見をせずにまっすぐに行くことです。そうしてわが道を生きてきたら、長い時間が経ってしまっただけのことよ。

90歳を超えた今もそうですけど、娘をはじめ、誰も私を年寄り扱いしないんです。とても厳しくって。本当は足腰が痛くてボロボロなのに(笑)。でも、絶対に「痛い」「疲れた」って言わないことにしています。どのみち、生きるためには一生働いていかなくちゃと思っていますし、店に出てピザを焼くほうが楽しいですから。

娘の節子さん(69歳)と母・スズ子さん。「せっちゃん」「ママ」と呼び合うふたりは「トミーナ」の看板娘!? 「お客さんのほとんどが市場外から来るリピーターです」

 

土井スズ子
1926年生まれ、長野県出身。高校卒業後に上京し、ソ連大使館のハウスキーパーを経て、21歳で紳士服店を経営するご主人と結婚。1女をもうける。子育てをしながら婦人服を仕立てる仕事を行い40代で引退。その後、世界旅行に没頭し、75歳から築地市場・場内「築地魚河岸トミーナ」の調理場に立ち、ピザを焼く。

(インタビュー/兼子梨花 構成/風来堂 撮影/三坂修二)