ゆるふわ“妄想系”ライター、さえりさんの「覚悟しない」等身大の働き方

2017年01年19日

憧れのお仕事のリアルに迫る!輝く女子のワークスタイル
Vol.5 フリーライター さえりさん

フリーライター さえりさん

恋愛系の“妄想”ツイートを始め、ユニークな発想で記事を書き起こす、さえりさん。
まさしくU29女子世代であるさえりさんに、仕事、そして言葉の数々に対する想いを伺いました。

キュンキュンが止まらない! 想像の世界をツイートする“妄想系”ライター

これまでどういった仕事をされてきたのでしょうか?

フリーになって以来、映画紹介の連載や企業・専門家の取材などさまざまなライターの仕事をいただいています。もともとtwitter上で個人的に続けていた“妄想”ツイートの繋がりで、“妄想”に関する仕事の依頼も多いです。先日は、水族館のPRのために、彼氏と水族館でデートをする“妄想”を書く、という仕事の締め切りに追われていました。妄想というとイメージしづらいかもしれないですが、結局は「創作の物語」を作っているという感じですね。ライターとして「創作物語」を書くなんて、なかなか無いことだとは思っています。

その“妄想”というのはどういったものですか?

“妄想”では、主に恋愛のことを考えています。「もしゆるふわパーマの彼氏がいて、こんなことがあったら、キュンキュンするのに!」というようなことを自由に書いていますね。とはいえ、私自身は「ライター」なので、読んだ人にどう届くかを考えているところはあります。最初は “想像ツイート”と自分では呼んでいたのですが、フォロワーの方から反響があり、“妄想ツイート”という言葉で広がってしまって(笑)。今では、読んだ人が感情移入できるように、自分のリアルな恋愛については書かないこと、「わたし」を主語にせず、あくまでも読み手が主人公になれることなど、こだわりをもって“妄想”をしています。

もともと想像するのが好きだったのでしょうか?

思い返すと、原点は子どもの頃だったかもしれません。言葉で遊んだり、絵を描いたり、ものを作ることも好きでした。たとえば粘土で女の子を作って、「この子はね、こんなお家に住んでいて、今こういうことを考えているの」みたいなストーリーをよく母親に話していましたね。
今のような形でtwitter上で“妄想”を発信するようになったのは、Web制作会社にいた頃でした。当時はとても忙しく、終電で帰宅する毎日を送り、「私の想像力が死んじゃう!」という危機感に襲われました。想像力を働かせる時間が私にとっては重要で、日常の中で不足すると何かが足りないような気分になっていたんです。片道40分の通勤中は最寄駅が始発だったので座ることができて、唯一自由に自分の考えを巡らせることができる時間だったので、電車の中で“妄想”ツイートをすることが次第に日課になりました。

誰かの日常を少しだけハッピーにしたい

数ある選択肢の中で、「書く」ことを選んだのは何故ですか?

学生時代から「言葉が好き」という気持ちはなんとなくありました。ただ、その頃はどうやったら言葉に携わる仕事に就けるのか分からなかったですし、本を書きたいといっても長い小説を書くのは難しそうだと思って、自信がなかったんです。それでも、言葉を使った仕事で「誰かの日常を少しだけ楽しくハッピーにできたらいいな」という想いがありました。大学時代はtwitterからポエムや日々のことを投稿したり、ポエムと写真で構成した100部限定の「言葉本」を作って販売したり、FMラジオでコーナーをもたせてもらったり、色々なことをしてみました。毎日ポストをのぞいてワクワクする時間や、読むときのドキドキを届けたくて、twitterで告知して、手書きのハガキをユーザーさんにお送りするという「ポストを覗く楽しみ」を500円で売ったこともあります。こういった、最初は小さいところから少しずつ自分で言葉を紡いで発信してきた経験が、いまの仕事にも繋がっていると思います。

私は、世界中とか日本中とかの壮大なスケールで考えると途方に暮れてしまうので、自分のふれあえる範囲や、Webを通じて繋がっている人たちにとって、読んだらちょっと元気になれるような言葉を書く仕事をしたいと思っています。

フリーライター さえりさん

仕事上はセルフブランディングを大切にしている、さえりさん。優しい言葉、何気ない日常をテーマにした、女子の心情を届ける

悩んだことで「覚悟しない覚悟」が必要だと気付いた

これまでで一番しんどかったことはなんですか?

大学時代の就活のときです。当時はtwitterでの発信なども手探りの状態で今のような働き方ができるという自信もなく、漠然と「生活のために働く」というイメージしか持てていませんでした。自分が何の仕事をしたいのかも分からなくて、結局、企業の説明会に一度行っただけで、就活自体を辞めてしまったんです。
それから切り替えて学生起業家の集まりに顔を出すようになりましたが、「野心」が薄めの私だったのであまり上手く付き合えませんでした。就活するわけでも起業するわけでもない中途半端な時期に「でも就活しないならどうすればいいの?」と焦りすぎて、トラブルも起こってしまって。結局何もできない自分に絶望して心身ともに調子を崩し……、休学して実家に戻って療養するという時期がありましたね。

そこからどうやって立ち直ったのですか?

まずは両親が受け止めてくれたことが大きかったですね。無理せずしっかりと落ち込んだのが良かったと思っています。だんだんと元気になってきた頃には「やりたい仕事を探す前に、ちゃんとお金を稼いで生活をしよう」という地に足のついた考え方になっていました。そんな「仕事なんてなんでもいい」と思っていたタイミングで、とある出版社の社長が私のブログを読んでくださったことがきっかけでその会社に就職、と、思いがけない方向に人生が動いていきました。
療養していたときに、今まで自分はこうしなければいけない、ああしなければいけないと、変に決めつけて気負ってしまっていたんだなって。最初から計画を立てようとすると、計画通りにしようと思いすぎて苦しくなることに気付いたんです。それで上手くやれる人はいいけれど、私の場合はもっと柔軟な生き方をできるようになりたいな、と思いました。それからは、何か変えなければならないときは変えるし、悩んでいるときは悩む。覚悟にとらわれずに、今の等身大の自分に合った選択肢で生きようと考えられるようになりました。

フリーライター さえりさん

以前は、無理をして心が疲れてしまうことも多かったそう。だからこそ、マイペースで仕事ができる今が楽しい

やったことへの対価が分かることで安心できる

フリーになることに不安はありませんでしたか?

もちろん、不安がなかったわけではありません。家族や周りの友達にもたくさん心配されました。でも、覚悟を決めて踏み出したというよりは、「もし仕事がなくなって困る日があれば、どこかでバイトして食い繋ごう」というゆるい気持ちでいました。今までの仕事でいろいろな機会をいただいたことや、海外で英語が通じなかったとき、困ったときに、twitterでフォロワーの方から助けていただいた経験もあって、「もし困ったら『困ってます』って無理せず言おう」というのも頭にありました。無理して格好つけたりしても、得になることなんて何も無いなって。

フリーで活動をしてみて、会社員時代とはどう変わりましたか?

以前から、私には大企業は向いていない気がすると思っていて。理由はいろいろとあるんですが、仕事の全体感が把握できないと上手に動けないタイプだし、一律の給与体系でずっと働き続けることもできない気がしていました。いつか「自分がやっていることが何になるのか分からない」とか「自分はもっと頑張っているのに」と思ってしまって、モチベーションが保てなくなる気がしていたんです。そういった意味では、フリーの仕事は自分の仕事の範囲を自分できちんと把握できるので、もやもやが減ったように思います。自分で仕事を探さなければいけないという点では、会社員のような安定感はないですが、「これくらいの仕事をやったらこれくらいの報酬をいただける」という、やったことの対価をきちんと感じることができるので、以前よりも安心して仕事ができるようになりました。

フリーライター さえりさん

仕事は自宅か、近くのカフェで。パソコンとメモを書きためたノートがあれば、すぐにとりかかれる。「記録魔なんです(笑)」というさえりさんは、手を動かして書くことが趣味であり仕事

今は次の「なりたい自分」になるための第一ステージの途中

今後の展望はありますか?

自分はこうだと決めつけず、仕事の可能性は広げていきたいと思っています。今後は、ストーリーテラーとしてドラマの脚本を書くとか人の共感を得られる作詞をするとか、経験のない仕事にもチャレンジしていきたいです。
あとは、できれば20代のうちにお母さんになりたいと思っています。「お母さん」という役割にすごく興味があって。お母さんとして体験したことを自分の言葉で発信することで、人の役に立てるのではないかな、とふわっと考えています。今はまだ道の途中。次の「なりたい自分」になるための第一ステージだと思っています。

フリーライター さえりさん

さえり
フリーライター。大学を卒業したのち、出版社、Web制作会社に勤務しその後独立。twitter上の2つのアカウントで計10万人以上のフォロワーを持ち、特に“妄想系”の恋愛ストーリーやレポートが、20代を中心とする女性から多くの支持を得ている。書籍の出版が続々と決定中。

(インタビュー/兼子梨花 構成/風来堂 撮影/清水信吾)