染織家から独学でパティシエールに!岩柳麻子さん「失敗してやめてしまうと失敗のまま。だからやり続けてみる」
憧れのお仕事のリアルに迫る!輝く女子のワークスタイル
「PATISSERIE ASAKO IWAYANAGI」代表 岩柳麻子さん
服飾専門学校では染織を学び、卒業後は独学でパティシエールとしての技術を身に付け、都内に構えた自身の店「PATISSERIE ASAKO IWAYANAGI(パティスリー アサコ イワヤナギ)」が大人気店に! 異色の経歴に思えるものの、その原体験は育ったご家庭にあったという岩柳麻子さんに、じっくりとお話をうかがいました。
染織家のたまごから、お菓子の世界へ
■食の道に入られた経緯について、教えてください。
視覚的に刺激を与えるということに興味があって、桑沢デザイン研究所という学校のドレスデザイン研究科で染織を学びました。染色したり、布を織って作品を作ったりして。
卒業後は友達と共同でテキスタイルの展示会を開いていました。その一方で、学生時代から、課題の制作費を捻出するためにカフェやデリ、アイリッシュパブなどでアルバイトもしていたんです。
染織家というのはある意味アーティスト。需要があって発注を受けてというものではなく、表現したものを見てもらうために、自分で自分をブランディングしていかないと、食べていくことが難しい職業なんです。ましてや自分は無名の若者。はたしてこれを生業としてやっていけるのか?という疑問が、次第に芽生えていきました。
かたや、アルバイト先の飲食店ではお客さんがひっきりなしに訪れ、商売としてしっかり成り立っているのを目の当たりにしていたんです。
テキスタイルで生計を立てられるようになるには、と考えた結果、まずは自分の作品を紹介するところにお茶やお菓子を用意して、お客さんが集まる場を確立しようと思い至りました。
そうして自分たちの展示会で出すお菓子を作ったりするうちに、カフェのメニュー考案やケータリングを頼まれるなど、飲食関係の仕事がどんどん増えていったんです。バイト先のパティシエたちから専門誌を借りてお菓子を作ってみたり、料理研究家のアシスタントをしてみたり。お料理雑誌の撮影アシスタントをしたこともありました。
少し足を突っ込みはじめてみたら、あれよあれよと需要が高まって。食の方が本職になっていった感じです。必然だったんでしょうね。
■もともと飲食系にも興味はお持ちだったのですか?
祖母が手作りのお菓子を顧客に届ける、という仕事をしていたんです。母も大学入学と同時に上京して、親戚の料理研究家の家に住み込みながら仕事を手伝っていたようです。それもあってか、母がお菓子を作ってくれるのは当たり前という家でした。だから小さい頃から私も自然と、母と一緒にお菓子を作るようになっていましたね。
特に中高生の頃は、父の海外出張によく連れて行ってもらったのですが、いろんな国の文化を体感できたことも貴重な体験でした。ストリート、人、食べものなどを見て得たインスピレーションが、のちのテキスタイルや飲食の道に繋がっていったと思ってます。
ポーランドで食べたスクランブルエッグは素朴で、決して華やかではないけど、ものすごくおいしかったし、パリのパティスリーは、日本のように商品がキレイに並べられているショーケースとは違い、無骨な焼きっぱなしのお菓子が雑多に並べられている様子がナチュラルで、かえっておいしそうに見えていいなぁと思ったりもしました。
特にフランスは街のワンブロックごとにおいしいパティスリーがあって、スイーツがとても身近な国だなと感じたんです。それから「お菓子っていいな」と思うようになりました。
「特別なものだけではない、デイリーなお菓子がもっといっぱいあったらいいのにな」とか「飾らない味なのに、見た目は贈り物らしい雰囲気のものもいいな」など、いろんなイマジネーションも膨らんで。
こう振り返ってみると、食に対する感覚やセンスは、祖母や両親の影響を受けている部分が大きいのかもしれませんね。
独学で技術を習得し、念願のお店をオープン
■パティシエールを目指すと決意されてからは、どのように学び、働いてこられたのですか?
修業というよりは、ほぼ独学です。あとはもともとフランスで働いていたパティシエの方にプライベートでレッスンしてもらったり、2~3か月休みを取ってフランスで学んだり。有名シェフの講習会に出たりもしていました。
この世界にいると、結構勉強する機会は多いんです。ですから、外で情報を集めて、あとは実際に自分で作ってみる。そうして身に付けていきました。
学校に行ければ一番良かったんですが、費用のことを考えて違う選択をしました。染織を学んだときに既に学校へは行かせてもらっていたので、これ以上親に負担をかけるわけにもいきませんし……。年齢も年齢なので、現場でたたき上げのスキルを積んでいくしかない、と。
パティシエールとしてレストランなどさまざまなお店で経験を積んだのち、2005年に「patisserie de bon coeur(パティスリィ ドゥ・ボン・クーフゥ)」をオープン。多いときで6店舗を経営し、ケーキ教室もスタートしました。
そして、2015年に今のお店を作って拠点を移しました。
前のお店では管理職でもあったので、各店舗に出向いてのチェックや、原価計算や価格決定などの事務仕事などもしなければなりませんでした。でも正直、その環境を大変だと感じてしまって。今のお店ではそういったことは全て人に任せて、自分はお菓子作りだけに集中できているんです。
■1日のタイムスケジュールを教えていただけますか?
一般的なパティシエに比べると、朝はゆっくりめです。7時半~8時くらいの間に出社して、10時までに朝のお菓子を並べる準備をします。
10時からはカフェの準備と仕込み、それからケーキの土台作り。1時間休憩を取ったらまた、仕込みをします。18時くらいまでに作業を終わらせて片付けをし、全て終わるのはだいたい20時くらいですね。月に1、2回は閉店後に商品撮影をすることがあるので、そのときはもっと遅くなります。
■新作はどういう風に考えていらっしゃるんですか?
以前のお店では半年に一度、季節の新作コレクションを発表していたのですが、今のお店では思い立ったときに試作してみるというやり方にしています。
季節を感じながら、旬の素材を使ってみよう、来月はこういうものを出してみよう、という感覚で。わざわざ新作を考える時間はもうけず、お店までの行き帰りとか、日々の作業の中でできそうなときにやっています。
すごく飽きっぽい性格なので、同じものを作り続けるというのが性に合わないんです。新しいものをちょくちょく取り入れて、毎日の仕事にメリハリをつけています。
お客様との会話から新作が生まれることもしばしば。「こういうのはないの?」とか「去年のあれがおいしかったけど、今年は?」などと聞かれると心に響いて、「よし、絶対作ろう!」と意欲が湧いてきます。
店舗の造り上、お客様の様子がよく分かるので、何かおっしゃっているなと思ったらすぐ売り場に出て、直接お話をうかがうことも。お客様との距離の近さを、とても大事にしたいなと思いますね。
■今のお店を構えるとき、何か決心したことはありますか?
場所探しで決め手となったのは、おばあさんになっても通える場所、ということでした。現役を引退するまでここでやろう、という気持ちでいたんです。
お店のコンセプトとして決めたのは、旬の素材を必ず使うということ。以前多店舗経営をしていたときは、全店で量産できるもの、スタッフみんなが同じように作れるものでなければならず、“曖昧なこと”は一切許されなかったんです。
でも今は、このフルーツ今日はダメだなというときは、その日使える別の素材でもっとおいしそうなものを代用しています。
どんなにルールを作っても、自然界には逆らえません。バターが手に入りにくいなら、バターに頼らないお菓子を作ればいい。ショーケースの中身は毎日全部違っていてもいいと思っています。
そういう、いい意味で「あやふや」なところが、やっていても楽しい。こうじゃないといけない、という考えはありません。「そのときに作れる一番おいしいもの」を出すことが、常に一番の目標ですね。
とりあえずやってみる。そしてやり続ける
■仕事がイヤになったことはありますか?
環境が合わないなと思うことはあっても、パティシエールという仕事に対しては一度もないんです。作っているときはもちろん、洗い物していても接客していても楽しくて。仕事自体がイヤになることは絶対にないですね。
そういう意味では天職なのかもしれません。大好きな仕事ですし、私にはこれしかない。何かを生産し続けていないと、自分には価値がないような気がしてしまうんです(笑)。作り続けていないとダメなタイプだし、そこにアイデンティティを求めているんだと思います。
■仕事とプライベートはどのように両立されていますか。
二世帯住宅で同居しているので、子どもが保育園に通っていたときは、送り迎えは母にお願いしていました。私よりも母が苦労しているんじゃないでしょうか……(笑)。運動会や保護者会など行事のときには、私も仕事を休んで参加していますが、スケジュールの管理が苦手なので、ダブルブッキングしないように必死です。
休日は子どものためにごはんを作ったり、一緒に遊んだり。
接する時間は短いんですが、ここにいてくれるだけで幸せ、という存在です。だんだんもっともらしいことを主張するようになってきたり、しゃべりも達者になってきたりして面白く、子どもというよりはひとりの人として接している感じですね。日々勉強させてもらっています。
■将来の夢を教えてください。
ショーケースがなくて、ケーキが一つも置かれていない、そういうお店をやれたら素敵だなと、かねてから思っています。
個々のお客様のカルテを作って、「こういうタイプの方で、こういう味が好みで……」といったことを記入。その日の気分や希望などについて一対一でお話をうかがって、注文を受けるというカウンセリングのようなケーキ屋さんを作りたいんです。
とはいえ、自分のお菓子がどんな味なのかを知ってもらわないと、お客様も不安でオーダーできないと思います。だから今このお店で力をいっぱいつけて、将来はそういうスタイルの販売を、このお店の一角でもいいのでできたらいいなと思っています(笑)。
■悩めるU29女子へ、元気が出るようなアドバイスをお願いできますか。
「とりあえずやってみる」。そして「やり続けてみる」ことが大事かなと思います。やってみてダメでも、その失敗もきっとプラスになるはず。そしてやり続けていれば、やってきて良かったなと思える日がくるはずです。
私なんて、失敗しまくり(笑)。
失敗すると、心や身体やお財布が痛いんですが、痛みで覚えていくこともあると思うんです。必ずしも成功だけが意味のあるものではありませんから。失敗にこそ、学ぶことは多いはず。それは続けていれば分かります。
一度失敗したからといってそこでやめると、失敗したままで終わってしまう。何回も失敗を繰り返して、それを克服しようとすることで、きっと結果に結びつけることができるんじゃないでしょうか。
岩柳麻子
東京都出身。2000年に桑沢デザイン研究所を卒業後、染織家として活動しつつも、アルバイトで始めた飲食関係の仕事がやがて本職となる。フランスを始め、さまざまな場所で活躍するパティシエから知識を得て、独学でパティシエールに。2005年には「patisserie de bon coeur(パティスリィ ドゥ・ボン・クーフゥ)」、そして独立後の2015年には自身の名を冠した「PATISSERIE ASAKO IWAYANAGI」をオープンした。一男の母でもある。