25歳の日本舞踊家・五月千和加さん「若い人に日本舞踊の魅力を発信したい」――“ギャル家元”が背負う、日本舞踊界の将来
憧れのお仕事のリアルに迫る!輝く女子のワークスタイル
日本舞踊家 五月千和加(せんわか)さん
伝統芸能として、少々敷居が高いイメージのある日本舞踊。舞台への出演はもちろん、門弟への指導などにも励んでいる、日本舞踊家の五月千和加さんは、一流の師に師事して持ち前のバイタリティで頭角を現し、20代半ばにして若き家元として活躍。一方で、InstagramやTwitterから発信される美しすぎる姿が注目を集めています。そんな千和加さんに、日本舞踊への思いと、家元を継ぐ覚悟についてお聞きしました。
尊敬される存在であること、美しくいること。三代目としてのたゆみない努力
■子どもの頃から生きてきた日本舞踊の世界。お稽古は厳しいのでしょうか?
私は物心ついたときからこの世界にいるので、ほかの職業をよく知らないのですが……。母のおなかの中では三味線が胎教で、ハイハイをする頃には稽古が始まりました。稽古場に座らされ、門弟に子守をしてもらいながら音に慣れて、自然に踊りを覚えた感じです。
9歳まで祖母から手ほどきを受けていましたが、本当に厳しくて、扇でよく頭を叩かれました(笑)。それでも辞めたいとは思わなかったですね。
幸いにも、この世界がイヤだと思ったことは一度もなかったですし、踊りも大好きです。そうして続けているうちに、家元を継ぐという意識が身に付いていったような気がします。
■五月流家元としてのお仕事内容について教えてください。
現在、日本舞踊家として公演の舞台に立つほか、主な仕事は弟子の指導です。
私は15、6歳頃から母の代稽古を半ば修行として始めて、18、19歳くらいから自分の弟子を取るようになりました。
弟子には、趣味として習っている者と、住み込みではありませんが、日本舞踊の世界全般のことを学んでいる、昔でいう内弟子のような者がおります。
■どのような方が日本舞踊を習っていらっしゃるんですか?
年齢によっても違うんですが、小さいお子さんは習い事の一つとして、30~40代では日本舞踊を通して女性らしい所作を身に付けたいという者が多いですね。やはり目標があったほうが上達するので、初心者でも発表会に出てもらい、人前で披露することを勧めています。
私より年上の者が多いですが、年齢というより、一人一人にふさわしい接し方をしています。気をつけているのは、踊り以外のことも含め、質問されたことに対しては全て答える、ということです。やはり尊敬できない人から習いたくはないでしょうから、常に自分を高めるために、情報収集、そして自分磨きも欠かしません。
特に母は美しくいることに厳しい人で、すっぴんだと怒られますし、染めた髪の根元が少しでも黒くなっていると、美容院に行くよう言われます(笑)。母がいつもきちんとしているので、私も身だしなみはマナーの一つだと捉えているんです。
ちなみに、日本舞踊を習うと、女性ならではのしなやかさが身に付きますよ。
まず背筋が伸びて姿勢が良くなります。猫背が治って、身長が高くなったという方まで(笑)。また、お稽古は浴衣で行いますが、着方を覚えるまで姉弟子がつきっきりで教えますし、着付け講座も設けていますので、着物を一人で着られるようにもなります。
“ギャル”な見た目は個性の一つ。自分のカラーを大切にしたい
■「三代目としてやっていく」と決意したのはいつ頃ですか?
母が日本舞踊家で、父が舞台で使う大道具の製作会社を営んでいるため、2つ上の兄は大道具を、私は踊りをと親が決めていたようです。私自身も踊ることが大好きなので、抵抗はありませんでしたね。
ただ、小学校の頃から舞台とそのお稽古のために早退することも多く、学業との両立はなかなか難しかったです。家業か学業のどちらかを選んでくださいと言われ、高校1年生の夏には通っていた高校を自主退学して、家業と両立できる別の高校に転入、ということもありました。
自分が継がなければ、と自覚したのは、母の名を継承した18歳のときです。三代目家元を襲名した21歳のときには、この世界で生きていくことを強く心に決めました。現在、初代の祖母はすでに引退し、二代目の母が宗家として、三代目の私が家元として両輪で活動しています。
■「ギャル家元」と紹介されることについては、どう感じていますか?
テレビ番組に取り上げられたとき、初めて「自分はギャルなんだ」と認識いたしました(笑)。
「ギャル」という言葉に悪い印象はありません。私は派手で個性的かもしれませんが、自分らしく生きているだけ、だと思っております。
ただ、日本舞踊では昔から、舞台に上がるときにはメガネや金属のアクセサリーなどが禁止されているため、周りから批判され、悩んだ時期も確かにありました。
ですが、周囲に打ち明けたところ、父が言ったのです。「出る杭だから打たれるんだ。中途半端ではなく、もっと出てしまえば、打てなくなるから。やるべきことをしっかりやり、信念を曲げないことが大事だ」と。なるほど、と思いましたね(笑)。それで自分のスタイルを貫き通そうと心に決め、今日までやってきました。
そういえば先日、日本舞踊協会の集まりに参加したところ、お偉い方々がわざわざ挨拶に来てくださって、「これからの日本舞踊界はあなたにかかっているから、頑張ってくださいね」と言ってくださったんです! 認めていただけたところもあるのかな、と嬉しい反面、責任も感じました。
■プライベートの時間はどのように過ごしていますか?
友人と食事に行って、美味しいものを食べながら、おしゃべりしたりして、リフレッシュしています。
あと、日本舞踊は大好きでイヤだと思ったことはないんですけど、家元がイヤだなと思ってしまうことはあって。そういうときは好きな長編アニメーションのDVDを観ています。
自分と同じように親に決められた世界に生きながらも、夢や信念を持ち、リスクを冒してでも思いを叶える主人公に勇気をもらっています。私も自分を信じて信念を曲げずに、家元としての使命を果たさなければ、と思いを新たにしているんです。
天職と思える日本舞踊の世界で、嘘や偽りのない生き方をしたい
■これからやってみたいことはありますか?
若い世代の人に向けて情報を発信し、日本舞踊をもっと身近に感じてほしいです。
日本舞踊が本当に大好きですので、衰退しているという現状が悲しくて、悲しくて。
この衰退の危機を乗り越え、また盛り返すための役割が自分に与えられている気がしています。
古典の演目はどれも歴史にちなんでいて、背景に深い物語があります。その良さも知っていただきたいですし、一方で、アニメやミュージカルソング、J-POPなどを使った踊りも研究しています。ぜひ一度、劇場に足を運んで生で見てほしいですね。
数年後もギャルと言われるような、このスタイルでいるかは分かりませんが、いつまでも自分に嘘や偽りのない生き方をしたいです。ただ、天職に恵まれたという幸せに感謝しているので、日本舞踊だけは絶対に捨てません。
■仕事や結婚、将来の子育てなどに悩むU29女子にメッセージをお願いします。
私個人としては、何が幸せかは自分で決めることで、満足感は自分で得るものだと思います。仕事を嫌々やっていると、そういう顔つきになってしまいますよね。
生き生きとしているためには、なるべく自分に合う仕事を見つけて、それを楽しむこと。結婚だってしたいと思う相手が現れたらすればいいし、しない人生もいいと思います。何事もご縁ではないでしょうか。
日本舞踊は15~20分の演目が多いのですが、有名な『道成寺』や『鏡獅子』などは約1時間、ほとんど一人で踊り切ります。衣装やカツラも何十キロと重く、普段全くイヤと感じない舞台がイヤになって泣きたくなるほど、辛いんです。
でも、終わった後の達成感を味わってしまうと、「またやりたい!」と思えるんです。そういう風に、大変だとしても、乗り越えたときの喜び、目標をクリアしたときの達成感が得られる仕事ができるといいですよね。
五月千和加
1992年東京都生まれ。日本舞踊家。2歳の時に国立大劇場にて初舞台を踏み、9歳で五月流三代目を襲名し、2010年、18歳の時に五月流二代目五月千和加を継承。2013年、五月流三代目家元を襲名し、日本舞踊普及のため、幅広く活躍中。2017年4月3日国立大劇場にて「藤娘」を公演予定。
(インタビュー/戸田恭子 構成/風来堂 撮影/清水信吾)