「わたしは悪くなーーーい!」20代の自己否定と、30代からの自己受容 エッセイスト・紫原明子さん
毎日、お仕事お疲れさまです。
もみくちゃの電車通勤、厄介な取引先、気乗りしない飲み会、ままならない恋愛。
何かとうんざりすることの多い毎日の中で、わざわざ時間をさいて、知らない誰かの書く生き方についてのコラムを読んでくれようとしているあなたは、きっとかなり真面目な人なんだろうと思います。そこで今日は一つ、真面目な人に読んでほしい話を書きます。
真面目な20代の原動力は「自己否定」
最初に、真面目な20代の話をします。真面目な20代の原動力は、“自信のなさ”です。日本人は自己肯定感が低い、とか至るところで言われていて、自信のなさはとにかく悪しきもののように言われているけれど、自信がないから頑張れるのです。
毎日誰にも言えずに、自分の中で繰り返す自己否定「私なんてダメだ」は、自分をげんなりさせる一方で、少なからず成長させています。自分に自信がないからこそ、周りの人の話を「それもそうかも」と素直に聞くことができるし、自分の考えに固執せず、新しく、より良い価値観を受け入れることができるのです。
見方を変えると、自己否定してしまうのは、自分なら今よりもっとやれるはず(なのに現状、その力を発揮できていない)という希望を捨てていないから。自分の潜在能力を信じ続けるために、自分のプライドを保つために、もともとプライドが高い人が、自己否定します。
だから、そういう人は恋愛する上でも、厳しいことを言ってくれる大人の異性に惹かれがちです。そこはおかしいでしょ、とズバっとダメな点を指摘してくる年長者は、自己否定することで自分の可能性を信じたいあなたの気持ちに、プライドに、寄り添ってくれます。
これが、同じように厳しい相手でも、年上でなく同世代だったりすると、持ち前のプライドの高さが邪魔をして上手く聞き入れられなかったりもします。また、そのときのあなたの全部を肯定してくれるような、あなたのことならオールオッケーという異性は、無意識に“この程度の私をいいと思うのか”という軽蔑の眼差しで見てしまい、自分より人間のレベルが低いような気がして、好きになれなかったりもします。
だけど、もうご存知かもしれませんが、自分より年下の人間に厳しいことを言う年上の異性は、本当に必要だという思いから止むを得ず指摘してくれている場合と、ただ、誰かを支配下において悦に入りたいだけの場合とがあり、後者である場合には厄介です。あなたの自信のなさを成長に導いてくれるのではなく、あなたがもっと服従するように、あなたから、より自信を奪おうとします。
こうなると、成長して自信を持ちたいあなたと、あなたから自信を奪いたい相手との、見えないバトルが始まります。あなたの成長が勝った場合には、あるときふと“あれ、この人はもしかして、私のためを思って言ってくれているのではなく、ただ言いたいだけじゃないのか?”と思うときがきます。関西弁で言うと“言いたいだけちゃうんか?”です(関西弁で言い直す必要もないんですが)。相手の思惑、浅い底が、透けて見えるようになります。
一方、相手がより上手である場合には、そうと気づかないうちに、精神的に落ちるところまで落とされてしまいかねません。まずは“この人、言いたいだけじゃないのか?”という疑いの目を持って相手を観察してみてください。
あなたにダメ出しする際、一国の権力者の演説かと見紛うほど相手が威風堂々とし、雄弁であるようならば、それはほぼ間違いなく、言うことで気持ちよくなっているだけなので、言いたいだけです。また、日増しに言い方がキツくなる、あるいは、言い方に熱がこもるようになってきていたとしても、それはあなたの自立の日が近づいてくることを察知した焦りからくるもので、やっぱり言いたいだけでしょう。
それまでなら“なるほど、そうですね”と素直に納得していたようなダメ出しに、“それはどうかな……?”と疑問を抱けるようになり、ある日ふと“私はそんな、どうしようもない人間じゃない!”という反発心が芽生えたら、それは、あなたの人生の第二部の幕が上がる合図です。
真面目な30代の原動力は「自己受容」
「やまとなでしこ」という有名なドラマをご存知でしょうか。これは今から17年前、2000年に日本中で大ブームを巻き起こした松嶋菜々子さん主演の恋愛ドラマです。主人公は、狙った富豪は逃さない、合コンの女王と呼ばれる超美人客室乗務員(CA)の桜子。桜子は、女性が最も高値をつける売り時(結婚のタイミング)を27歳とし、その哲学通り、大病院の御曹司と27歳で結婚することとなります。ところが、まあやっぱり色々あって、結婚式当日、衝動的に逃げ出してしまいます。何もかも台無しにした自分にしばらくの間呆然とし、抜け殻のようになるのですが、ある日、一人で訪れた海辺で、こう叫びます。
「わたしは悪くなーーーーい!!!」
最高値と見積もった売り時をみすみす逃し、また一歩、30歳に近づこうとしている桜子のこの一言に、放送当時、多くの女性が心を強く掴まれました。
人間は誰しも生まれた瞬間から死に向かって進んでいるわけですが、女性の場合これに加えて、出産が可能な年齢へのリミットとも、向き合わなくてはなりません。桜子のように“女の売り時”というような考えを持っていなかったとしても、歳を重ねていくことはただそれだけで、自分の限界が少しずつ近づいてきている、そのことへの漠然とした恐怖と向き合っていくことです。
実際、30歳前後では、仕事にも、恋愛にも、それまで頑張って努力してきたことに、その時点での結果が色々と出始めます。思い通りに運んだなと満足できることもあれば、思うような結果を得られなかった、ということもあります。
同じように頑張ってきたはずの、同世代の誰かの活躍が羨ましく思えたり、結婚に至らない自分が、他の友人より劣っているように思えたり。特に、恋愛や結婚、出産に関しては、相手やタイミングを必要とするものなので、自分の努力だけではどうにもなりません。自分はダメだ、と自己否定し、自分に発破をかけ続けることで成長してきた人ほど、結果が出せないことに絶望的な気持ちになるかもしれません。そんなときこそぜひ、やってみるべきだと思うんです。
「わたしは、悪くなーーーーい!」と、絶叫。海辺で。
私たちは大体いつも、自分のことしか考えないから、ともすれば自分以外の人の人生だけが順調に進んでいるように見えたりもするけど、やっぱりそれは“自分可愛さ”、エゴの裏返しです。結婚にしろ、出産にしろ、キャリアアップにしろ、何かを選択したということはそれ以外の可能性を手放したということであって、代わりに、新しい責任を背負ったということでもあって。他人には他人の、一面を見ただけでは決して知ることのできない葛藤や重圧があるのです。
……にも関わらず、羨ましくなるほど幸せそうに見える人というのはいて、そういう人たちは何なんだ、どうなっているんだ、と思うかもしれないけど、恐らくそれは、私たちと同じように葛藤を抱えていて、それを、私たちと同じように厳重な仮面でひた隠しにしているだけでしょう。
もしそうでなかったとすれば、残る可能性は一つ。現状の自分を受け入れることに成功しているんだろうと思います。これまで思い通りにいったことも、いかなかったことも、まあ全部、それはそれ。できることは頑張る。無理なことについては、自分を責めたってしょうがないのだ、私は悪くないのだ、と。過去の自分の確かな努力と、その先にある今を、受け入れることができているんだろうと思うんです。
20代の間は自己否定が原動力になるけれど、30代からの原動力は、自分を認め、許し、受け入れる力です。否が応でも時間の流れを感じ、見たい、見たくないに関わらず、それまでの結果を突きつけられる。おまけになんとなく、世の中の幸せの尺度で自分が計られているような気にもなる。……だからこそ、それまで散々鞭打って鍛え上げてきた自分を、今度は、よくやった、それでいいと、認め、許し、受け入れていきましょう。
その瞬間に対峙する結果なんて、一つの挑戦の終わりに過ぎず、生きている限り私たちは、好きでも嫌いでも、挑戦し続けなければならないのです。年齢を重ね、限界を知り、自分を受け入れた分だけ、新しい挑戦に出会える。もっと先に進むことができる。そんな風に思うのです。
紫原明子
エッセイスト。1982年福岡県生まれ。高校卒業後、音楽学校在学中に結婚。2014年には離婚し、現在は2人の子どもを育てるシングルマザー。その経験などを綴るブログ「手の中で膨らむ」が話題となり、著書には『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)がある。