ともさかさんは12歳から女優として活動されてますが“役者”は運命の仕事だったんですか?
ともさかさん「当時はまったく! 12歳ですから仕事なんて感覚もないですし。でも、13歳のころに初の連続ドラマに出演したときに、少し意識が変わったんです。それまでは“まだ子供だし”という甘えがあったんですが、この現場はまったく容赦なし。子どもだからとか、経験が少ないからとか、そんなことはいっさい抜きでベテランの役者さんと同じように課題を与えられました。それがものすごくプレッシャーで、最初のころは泣きながら現場に行ってましたね。でも、いつしか人に望まれることの充足感に、自分はこの環境が好きかもしれないと思うようになってきたんです。と、言っても、これが“仕事”だなんて意識はまだなかったですけど」
いつぐらいから“仕事”という意識が芽生えたんでしょう?
ともさかさん「20歳のころですかね。ただ、仕事と認めた時点で大きく意識も変わっていくわけですよ。それまでは、単純にお芝居が好きって気持ちだけで役者をやっていたから、それはないだろうと感じることには拒否感をすごく出してました。それが、仕事となるとそうはいかない。それで煮詰まっちゃったこともありましたね」
その煮詰まりは解消できたんですか?
ともさかさん「役者に限らず、どんな職種でも苦手だと思う仕事はありますよね。今はそれを、自分が面白く思えるものに変換させていくことが楽しくなってきた。もともと人見知りってこともありますが、20代前半は、周りとコミュニケーションをとるのがすごく苦手で、ひとりで仕事をしている意識が強かったんです。でも、仕事を続ける上で、共演する役者さんやスタッフさんなど、いろんな人のエネルギーが積み重なってきて、周りと接することの面白さにようやく気が付いたんです。年を重ねるごとに自分の中で許容できる範囲が広がってきて、変わったんだと思いますね。自分が待ちうけ態勢を広くとっていれば、うまくいくことって多いんですよ」
それじゃ、20代はいろいろと悩みぬいた時期だったと。
ともさかさん「20代は自分の中で試練の時代だったんで(笑)。もちろん、面白いこともありましたけど、つらいことも多かった。もともと、人に迷惑をかけちゃいけないって育てられてきたから、自分が決めたことにやっぱりNOと言うのがすごくいけないことだと思っていたんです。すべてのみこんで“すごくつらいワタシ”って悲劇のヒロインぶることで自分の気持ちを落ち着かせていたんですよ。でも、それってあまりにもネガティブな落ち着かせ方で、解決になってない。その檻を取っ払うきっかけになったのが離婚かな。なんだ、やり直せるんじゃんって。離婚って聞く人が聞けばすごくマイナスに思うかもしれないけど、自分がステップアップするための、より良い選択肢ならいいんじゃないかと。自分の人生なんだから、自分で自分を肯定してあげないとつらいまま。いつまでも人の顔色をうかがっていたら、つまらない人生になってしまうと気付いたんですよ。それに、出産して気持ちのままに生きている息子を見ていると、今までのネガティブに対するエネルギーがムダだったなぁ、と思うようになったのもありますね。もっとシンプルに考えて動けばいいのかなって。20代の経験はこれからの30代を楽しむための蓄積だったと、今は思いますね」
その30代のお楽しみ第一弾が歌手活動再開ですね。
ともさかさん「昔は役者の片手間で音楽をやるのは、本職の人に申し訳ないと思ってたんですが、そろそろ、そういうの抜きで楽しめたらいいんじゃないかと、都合のよい感じに気持ちが切り替わってきたので(笑)。自分が純粋に楽しいと思える仕事って、私はご褒美だと思ってるんです。そんな毎回楽しい仕事しかしない、なんて都合のいい話はありえないじゃないですか。でも、頑張ってくれば、自分が素直に楽しいと思う状況が作れるときがくるんですよね。だからこそ、次のご褒美に備えて、日々コツコツ頑張ろうと思うんです」