フォトジャーナリスト安田菜津紀さん「撮るのが仕事と割り切らない」写真とのかかわり方

2017年01年25日

憧れのお仕事のリアルに迫る!輝く女子のワークスタイル
Vol.6 フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん

フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん

カンボジアを始めとするアジアや中東に出向き、精力的に取材活動を行う、フォトジャーナリストの安田さん。全てを現場で身に付けてきた彼女に、フォトジャーナリストという仕事について、また撮影することに対しての葛藤など、ご自身の職業観を語っていただきました。

原点は16歳のときのカンボジアでの出会い

フォトジャーナリストを選んだ原点は、どこにあるのでしょうか?

私のライフワークであり、原点でもあるのがカンボジアです。16歳のとき、NGOの「国境なき子どもたち」が募集する「友情のレポーター」に応募し、10日間ほど現地の子どもたちとふれあったことが、今の仕事に繋がる出発点です。

カンボジアでの取材対象は、人身売買の被害に遭い保護された子どもたちでした。彼らは家族と離れ離れにされ、虐待を受けながら働かされるなど過酷な経験をしてきたにもかかわらず、「自分たちは施設で自立支援を受けられているけど、家族はもっと苦しい生活を強いられているかもしれない」といった気持ちを話してくれました。

幼いながらも自分より家族を守ろうとする意志に、私は衝撃を受けました。最初は「何かしてあげなくては」という気持ちで行った私でしたが、友人となった彼らからは逆に、家族とは何かということ、そして人として生きる姿勢を学んだのです。そのお返しとして、高校生の自分に何ができるのかと考えた結果、カンボジアの現状を日本に“伝える”ことだと思いました。

写真の技術はどのようにして勉強されたのですか?

カメラを持つきっかけを与えてくれたのは、師匠のような存在であり、アニキとして慕う写真家・渋谷敦志氏です。彼が撮影したアフリカの紛争地、アンゴラでの親子の写真に出会ったことが大きく影響しました。

フォトジャーナリストは基本的に単独行動なので、広告写真家のように弟子をとるようなシステムはありません。写真学校へ行くことや、新聞社・通信社へ就職して修行することも考えましたが、渋谷さんの「その間にもかかわってきた国の人たちが亡くなっていくかもしれない」という一言で、技術は活動しながら覚えようと決意しました。

フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん

本格的に仕事を始めたのはいつごろからですか?

この道に進むと決めたのは大学在学中です。2008年には大学を1年間休学してカンボジアに行ったり、ちょうど北京で開かれていたパラリンピックの写真部隊として現地へ足を運んだりしました。内戦前のシリアに初めて訪れたのもこの年です。

最初に手にしたカメラは、SNSを通じて決意表明をしたとき、応援の意味を込めて友人が譲ってくれたものでした。
駆け出しの頃は、写真を撮るとその都度渋谷さんや面識のない複数のフォトジャーナリストにも連絡し、「写真を見ていただけませんか」とお願いしていました。ホームページ経由や知人の紹介など、ほとんど飛び込みですが、意外とみなさん、会ってくれたんです。プロの視点から辛口の意見をもらえたのは、とても良かったと思っています。

まずは人に寄り添い、人と繋がることから

取材先で気をつけていることはどのようなことですか?

「話を聞かせていただく」という姿勢ですね。いきなりカメラを向けるのではなく、「繋がりたい」という気持ちを持つことが大事です。私にとって写真は、伝えるための一つの大切な手段。写真を撮るということは「あなたのことが知りたい」と、心の扉をたたくことだと思っています。なるべく現地の言葉でコミュニケーションをとり、人に寄り添うことができて初めて、伝えたいものを写し、それを人に伝えられるのだと思います。

伝えたいことのために、あらゆる手段を尽くす。そういう意識が根底にあると、自然と言語も覚えられます。英語は高校時代から得意でした。NHKラジオで勉強したり、スピーチコンテストに出たり。カンボジア語は現地の子どもたちとしゃべりながら、幼児語から覚えました。今はアラビア語を特訓中です。

安田さんが撮影された、陸前高田の「希望の松」

安田さんが撮影された、陸前高田の「希望の松」
ⓒNatsuki Yasuda / studio AFTERMODE

キャリアを重ねるうえで転機となった出来事はありますか?

東日本大震災です。当時はウガンダでHIV問題を取材していた時期でしたが、陸前高田市に夫の両親が住んでいたので、地震発生直後、すぐに帰国しました。

両親や地域の方のことを手伝っていた中で1枚だけ撮影したのが、大手新聞社の新聞にも掲載された、高田松原の松の木。のちに、復興への希望を象徴するものとして、「奇跡の一本松」と呼ばれるようになったものです。私はこの木を見つけたとき、「これを撮ることで被災地の現状を広く知ってもらえる」と、たった一本だけ残った松の木に希望を見出していました。ひいては被災地の方を勇気づけることに繋がるだろう、と。

しかし、義父が私の写真を見て言った言葉はこうでした。「7万本の松と暮らしてきた私たちにとって、これは津波の脅威を思い出させるものだ」。地元の人にとっては一本“しか”残らなかった松であり、見たくない、思い出したくない風景だったのです。

私は頭を殴られたようなショックを受けました。自分は誰の立場に立っていたのか、シャッターを切る前にどのように人の声に耳を傾けていたのだろうか、取材者として、取材対象とどのように向き合うのか。
立場が異なれば思いも異なる、そんな当たり前のことを、改めて考えさせられた出来事でした。今でもこの反省を心に、撮影を続けています。

仕事における悩み、難しいと感じるのはどういう点ですか?

海外で紛争や貧困、HIV問題などを目の前にしたとき、自分の仕事に疑問を持つこともありました。自分が写真を撮っても、子どものおなかを満たしてやることも、直接命を救うこともできない。何度もNGO職員や医療系などに転職しようと思ったことがあります。そんな風に悩んでいたとき、ある国のNGO職員が私に「役割分担していこうよ」と言ってくれました。

私はその言葉に救われました。現地で人の声に耳を傾け、写真に収めたものを持ち帰るこの仕事が、今やるべきことなのだと思えるようになったのです。

フォトジャーナリストの仕事とは、葛藤を捨てないことです。「撮るのが仕事」と割り切った瞬間に人の声が聞こえなくなり、人を傷つけていく仕事でもあります。気持ちは揺れながら、「本当にこれでいいのか」と常に自分に問い続けながら仕事をしています。

フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん

今もっとも気になるのはシリアの首都アレッポの現状。「シリアはとても美しく、人が温かい国でした。いつかシリアにまた平和が戻ったとき、その様子を伝えたい」

伝えることを通して「何かを変えたい」と思う人を増やしたい

安田さんは、幅広くいろいろな形で仕事をされていますよね?

そうですね。私は現在、仲間同士で立ち上げたスタディオアフタモードという組織に所属しています。テレビのコメンテーターやラジオのレギュラー番組、講演や写真展、書籍の発行などを行いながら収入を得て、他のメンバーのサポートを受けながら渡航費を工面し、国から国へと飛び回る日々です。

少し上の世代のフォトジャーナリストたちは、取材費をもとに現地へ行き、雑誌に写真と記事を掲載する、というのが典型的な仕事の流れでした。しかし、今は状況も変わっています。取材費は出なくなりましたが、「昔はよかった」とばかり言っていられません。伝え方も多様になりましたし、知恵の絞りようによっては、資金面を工夫しながらも、新しいことや自分のやりたい活動を広げていくことができると思っています。

愛用のカメラ

愛用のカメラは「はるおくん」と呼ぶオリンパス製のもの。「小ぶりなので人に威圧感を与えず、水洗いもできる優れものです」

仕事を通して何かが伝わっていると実感するのは、どのようなときですか?

中学や高校で写真を見てもらいながらお話しする機会が多いのですが、その子たちが大学生になってから、私の写真展などに来てくれることがあります。そして「伝える仕事がしたい」「医療系の道に進んで人の役に立ちたい」と言ってくれます。微力ながら、自分の仕事を通して若者たちに何かを伝えられているのかなと思っています。

ほかにも、例えば、陸前高田に住む70歳代のおばあちゃんが、シリアの人たちのために古着を集めてくれたとき。彼女自身、第二次世界大戦を経験し、チリ地震、東日本大震災の二度の災害を乗り越えてきたにもかかわらず、私がシリア難民に関わっていることを話すと「自分たちはそれでも、国を追われることはなかったからさぁ」と言って自分の事のように心配をしてくれたんです。ご自身が大変な状況におかれていても、故郷を失った異国の人を気遣うその姿勢にとても心を打たれましたし、世界中の問題の解決はとても難しいことですが、伝えることで「何かを変えたい」と考える人を少しずつ増やすことはできるのだと実感しました。

最後に、この仕事の一番のやりがいを教えてください。

危険が伴っていたり、食料の調達が難しいような地域にも行くので、いろいろな方に「つらい仕事ですね」と声をかけていただきます。でも、どんな仕事でも、つらいこと以上に喜びが勝るからこそ、続けられるのだと思います。

現場の写真は、絶対にそこへ行かなければ撮ることができません。しかしフォトジャーナリストとは、その場所に行くのではなく、人に会いに行く仕事だと思っています。縁あって出会えた人たちに再会したり、その後の子どもたちの成長を見ることもできたりしますし、嬉しいことがたくさんあります。心のふれあい自体が仕事になっていく。そんな素晴らしい職業だなと思っています。

フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん

安田菜津紀
フォトジャーナリスト。スタディオアフタモード所属。カンボジアをはじめ東南アジア、中東、アフリカ、そして日本国内で、貧困や災害、難民などの取材を行う。東日本大震災以降は、陸前高田市を中心に被災地支援と記録を続ける。最新著書は自身初の写真絵本『それでも、海へ ~陸前高田に生きる~』。講演、テレビ、ラジオなど多方面で活躍中。

(インタビュー/兼子梨花 構成/風来堂 撮影/清水信吾)