50年以上にわたりポーラと歩み続けた、83歳のショップオーナー「人との出会いから全てを学んだ、まさに天職!」な働き方

2017年03月16日

かっこいい先輩に学ぶ!長く働き続ける理由
ポーラ原町田・ショップオーナー 東島節子さん

ポーラ 東島さん

人を包み込むような笑顔と、柔和な物腰。背筋をぴんと伸ばしてお話される姿が印象的な東島さんは、半世紀以上にわたってポーラの化粧品を売り続け、多くのビューティーディレクター(BD)を育ててきたショップオーナー。顧客やBDからの信頼が厚く、83歳となった今も現役で活躍される東島さんに、ずっと働き続ける秘訣をおうかがいしました。

 

専業主婦から一転、訪問販売の世界へ

若い頃は飛行機の客室乗務員さんに憧れていました(笑)。結局、ご縁があって入社したのは百貨店で、そこでは接客の基本を学ばせていただきましたね。7年ほど勤めていたんですが、子どもができたのを機に辞めることにして。当時、保育園に子どもを預けて働くのは、今ほど一般的なことではなかったから、仕事を続けるのが難しかったの。

でもね私、働いていないと、もう退屈で、退屈で(笑)。仕事をしていないと、エネルギーを向ける対象が、どうしても子どもになってしまうんですよね。近所にも同じような年頃の子どもがいるお宅が多かったから、つい競争心が生まれて教育熱心になってしまって……。あるとき、実母に「あなた、ちょっと子どもに厳しくしすぎなんじゃないの」と言われてハッとして。いつのまにか、子どもが萎縮するようになっていたんです。

そんなこともありつつ、ある日、主人の同僚の奥様のところに遊びに行ってお茶をしていたら、ポーラのセールスが飛び込みでやってきたんです。当時は主婦が家にいることが多かったから、訪問販売が盛んだったのよ。そこで化粧品のお話を聞くうちに、「訪問販売の仕事をしてみませんか」と誘われたのが、この仕事をやるようになったきっかけです。

ポーラ 東島さん

 

あくまでも「軸足は家庭」がモットー

早速仕事を始めようと思ったのはいいものの、主人が大反対で……。でも、私はどうしても働きたかったから、もう「離婚されてもいい」くらいの覚悟で説得しましたよ。

主人も私の勢いに負けたんでしょうね。「町田のような住宅街だと、機動力がなければお客さんの家を回れないだろう。まずは車の免許を取れ」ってアドバイスしてくれて。それで免許を取って、仕事を始めたんです。

ポーラの訪問販売は、個人事業主として委託で仕事を受けるんです。フルタイムではなく、勤務時間が自由。だからできたんでしょうね。

仕事を始めたときは、娘はまだ幼稚園に入れない年齢でした。でも、一緒に仕事の勧誘を受けた奥様と、お互いの子どもを預かりあうことになったので、彼女に子どもを預けている間に訪問販売をしていました。もう、仕事がしたくて仕方ないから、少しでも時間があったら、家の近くの集合住宅を回ったりして。

とはいえ、あくまでも「軸足は家庭」と思っていましたね。家族みんなが元気でなくては、そして主人に気持ち良く働いてもらわなくては、自分が仕事をやっている意味はない。そう思って、限られた時間内で必死に車を走らせて、営業に回っていました。

ポーラ 東島さん

人と話をするのが、とにかく好き。「最近バス通勤しているんですが、車内でよくお会いする方と、自然とお話するようになって。『バス友』ができたのよ(笑)」

 

営業の秘訣はお客様を否定しないこと

知らないお宅を訪ねることに、全然抵抗はありませんでした。最初から、そういう仕事だと思って始めましたからね。私ね、この仕事につくときに、「お友達や親戚は一切頼らない」と決めていたんです。利害が絡んでしまうと、人間関係が崩れることも多いですから。

知らない方にポーラの商品の良さを伝えようと思って、一軒一軒訪ねては、商品をご案内したり、実際に使ってもらったり、お手入れの方法を教えたり。お客様は私と同じ新興住宅街の方が多かったので、主婦同士というスタンスでお話していたら、どんどん売れたんです。

もちろん、お断りをされること、そしていろいろと嫌なことを言われることだってあります。でも私はなにごとも、「否定からは絶対に始めない、肯定から始める」って決めているんですよ。

例えばお客様から、「ポーラの商品は高いわね」「そんなに使い切れないからいらないわ」なんて言われたとします。でも、そこで「そんなことないですよ」って返したらおしまい。まずは「そうですよね」って言うの。そして「でも、サンプルがあるので、ぜひ試してみてください、こうやって使うんですよ」って、渡して帰るんです。

そうすると次に伺ったときに、お客様のほうから「この間のあれ、すごく良かったわ」と買ってくれたりする。結局、商品が良ければ、使ってみればわかるし、一度買うとみなさん、その後も使い続けてくださるんです。30年、40年続けている方も多くいます。その方がまた、お嫁さんや娘さんにもおすすめしてくれたりして。

否定しないと、会話が弾むのね。あとは、元気と笑顔! それを心がけていれば、誰とでも話がつきないんですよ。ご近所の人なんかには話せないことでも、私には気楽に話せる、っていうこともあったのかもしれませんね。お客様のお家に通っているうちに、だんだんご家族ぐるみのお付き合いになることもあります。

 

ポーラレディからショップオーナーへ

訪問販売のお仕事を5年くらい続けているうちに人脈ができて、お客様だった方の一部が、今度は、訪問販売の仲間になってくれるようになったんです。そんなときに、このお店の物件が売りに出ているのを見つけて。「買っちゃいましょうよ」なんて、仲間に焚きつけられたんです(笑)。それで1970年6月にこの原町田のショップを開きました。

ポーラのショップは、商品を売る場でもあり、ポーラの訪問販売をしているBDの拠点でもあるんです。ショップオーナーとなって、BDとミーティングをしたり、化粧品についてお話をしたり、世間話をしたり。いざ始めてみたら、みんなのおかげで売上がどんどん上がっていったんです。そこで、BDにも新たにショップを出すようにすすめて。開店から現在までの46年で3~4軒、ここからBDが独立してお店を出しましたね。

オーナーと言っても、指導なんてとんでもない! みなさん熱心で、若さや行動力があって、私のほうが教えてもらうことがたくさんあるのよ。

ただね、上の立場にいてお金をいただくからには、BDへの心遣いだけは意識するようにしていましたね。新商品がどんどん出てきますから、ポーラの勉強会に参加して、そこでもらった資料をコピーして配ったり、みなさんがお仕事しやすいように情報を共有するようにしています。

ポーラ 東島さん

仕事を続けるうえで大切なのが、体調管理。朝は5時半に起きてラジオ体操。特製ジュースなど、体に良い食材を使った朝食も欠かさない。「前の晩に準備しておけば簡単なんですよ」

 

「人と会う仕事って、本当におもしろい」

辞めたいと思ったことは全くないんです、それが。土日になると、残念だなぁって思うくらい(笑)。でもね、一度だけ迷ったことはあるんです。個人事業主だから定年もなく、この歳まで続けてきたんですけど、4年くらい前に体調が不安定になったことがあって。

もう無理かな、と弱気になったんですが、「辞めたら困るわ」って言ってくださるお客様もいるし……。迷っていたら、息子が応援してくれたんです。「おふくろの好きなようにしたらいいじゃないか」って。

結局、他のショップにもサポートしてもらって、なんとか続けることができました。83歳になった現在も、週3回この店に通って、9時から14時くらいまで働いています。今も頼りにしてくれるお客様がお店にいらしたり、お電話をくださったりするの。商品の入荷がある日は、8時半くらいから店に来ていますね。

私はずっと、この道一筋。この仕事のおかげでたくさんの方と出会い、人生の全てを学ぶことができました。お客様の中にはいろいろなお仕事や趣味を持っている方がいて、お話をうかがうと知識が広がったり、刺激を受けたり。そうすると人間的にも成長できますよね。

もちろんお客様の中にはお断りされる方もいます。でも、それも含めて出会い。いろいろな方とふれあうことは、こんなにも大事なことなのかって思わされるんです。専業主婦のままでいたら、出会う人の範囲も、もっと狭かったでしょうからね。

人と会う仕事って、ほんとうにおもしろい。娘からもよく言われているんです。「お母さんは天職を得て、本当に幸せな人生ね。うらやましいわ」って。

ポーラ 東島さん

勤続50年を表彰して、ポーラ本社から贈呈された青い切子細工の時計は、東島さんの宝物

 

ポーラ 東島さん

東島 節子
1933年生まれ。東京都出身。1965年9月にポーラに登録。一男一女の子育てをしながら、訪問販売に従事。1970年に原町田営業所の所長(ショップオーナー)となり、多くのビューティーディレクターを育てる。

(インタビュー/野田りえ 構成/風来堂 撮影/清水信吾)