日本初の女性落語家 露の都さん「どないかなるやん」精神で乗り越えてきた42年間の落語家人生

2017年01月20日

かっこいい先輩に学ぶ!長く働き続ける理由
女性落語家 露の都さん

女性落語家 露の都さん

今から約40年前、男性社会であった落語界に足を踏み入れた、日本初の女性落語家・露の都さん。還暦を迎えた今、お弟子さんを7人抱えつつ、気持ち新たに落語に向き合おうとしています。そんなパワフルな都さんに、働き続ける“理由”をお伺いしました。

落語の世界に踏み込んだのは高校時代の「思いつき」

進路に悩んでいた高校3年生のとき、テレビで落語家の笑福亭仁鶴師匠を見て、「おもしろいなぁ」と思ったんです。それで、「そういえば、女性落語家っているのかな」と調べてみたら、どうもいないようなので、「ほな、やってみようか」と(笑)。
それまで落語を聞いたこともなかったし、もちろん落語会など行ったこともない。本当に思いつきでした。「まぁ、どないかなるわ」と思って、落語の世界に飛び込んだんです。よくそれで、42年も続いたなと思いますが……。でも、逆に落語の難しさとか、いろんな予備知識があったら、落語家になろうと思わなかったかもしれないですね。

週末のたびに通い詰めて弟子の座を射止めた

落語家になりたいと思っても、どうやってなるのかわからなかったので、とりあえずテレビの素人名人会というのに出場することにしました。その審査員をたまたましていたのが、のちに私の師匠となる露の五郎。「このおっちゃん、知らんけど、この人でええわ」と、思い切って弟子入りをお願いしたんです(笑)。
もちろん、すぐには弟子にしてもらえませんでしたが、それから半年間、学校が休みの土日のたびに師匠のところに通い詰めました。ほかのお弟子さんたちがする師匠のお世話を、見よう見まねでしていたら、そのうち土日は私が師匠の荷物持ちをするようになって。高校卒業間近になって、「そんなに熱意があるなら、やってみるか」と言ってもらえたんです。

女性落語家 露の都さん

「寝れば忘れる」のお気楽精神で男性社会を乗り切る

今でこそ東西合わせて50人ほどの女性落語家がいますが、最初の8年間は私1人でした。でも不思議と困ったことはなかったですね。師匠も男の弟子と同じように育てようとしてくれましたし、当時は私も男物の着物を着ていて、着替えも楽でしたし、そういうことも気になりませんでした。
ただ、お客さんの中には「女の声の落語は気持ち悪い」という人もいましたね。でも、私、わりとへこたれないほうなんです。もともとお気楽な性格だからか、「ああ、そうなんや、気持ち悪いんやなぁ」と思うぐらいで、一晩寝れば忘れちゃうんですね。
というか、3年間の修業時代は住み込みの内弟子でしたから、寝る暇がないぐらい忙しくて、悩む時間もなかったんです(笑)。何かひとつのことを極めようとするときは、余計なことを考える時間はないほうがいいのかもしれませんね。

女性だからこそ、男性にはできない女性を演じられる

長い落語家人生の中で大きな転機になったのは、女性の嫉妬をテーマにした古典落語「悋気(りんき)の独楽(こま)」というネタをやったときですね。いつも応援してくださっていた新聞記者さんに「やっと都さんらしいネタに出会えましたね」と言われたんです。
2人目の子どもを産んだ後でしたから、30代前半ぐらいだったでしょうか。ちょうど高座に上がるときの着物を、男物から女物に変えた時期でもあります。何となく男物が似合わない気がしてきて、一度女物を着てみたら、すごくしっくりきたんですね。
それまでは、登場人物が男性ばかりのネタが多かったんです。でも、その後は、必ず女性が1人は登場するネタをやるようになりました。女性が出てくるだけで噺がぐっと身近に感じられますし、自分自身が生身の女性ですから、男性には絶対まねできない女性が演じられるんです。やはり女性は、女性ということを活かせる方向性を目指していくべきなんだと、そのとき思いましたね。

女性落語家 露の都さん

「どないかなるやん」精神で、さまざまな苦労も乗り越えてきたからこそ、その言葉には説得力がある

さまざまな人生経験が、落語家としての成長にも繋がった

これまでは、どちらかというと、芸のことよりも私生活のことのほうが大変でした。でも私は、行き当たりばったりのわりには、つらいことから逃げないんですよ。落語の世界に入ったときと同じように、いつも「どないかなるやん」って思ってるんです。
結婚、出産、離婚、再婚。自分の2人の子どもと再婚相手の4人の子どもを合わせて、6人の子持ちになってしまい、苦労しましたけど、何とかやってきました。もちろん10年ぐらいは大変でしたが、物事は捉えようですよね。
子育てがしんどいときは落語で発散でき、仕事で失敗したときは子どもの無邪気さに癒され、自分にとっては落語と家庭の両方あったことが本当によかった。自分が今、落語家として7人の弟子をもつまでに成長できたのは、こうした人生経験をいろいろ積んできたおかげですね。

これからが、自分がやりたい落語に本気で向き合える10年

還暦を迎えた今、これからが本当に落語と向き合えるときだと思っています。70歳を過ぎると体力がなくなってくるので、この10年が勝負だと思うんです。「このネタは、女には向かへん」と言われたりして、それに左右された時期もあるんですけど、今後は手当たり次第に自分がやりたい落語をやっていきたいですね。
いろんな人生経験を積んできましたので、今度こそ、登場人物が男性ばっかりの落語も自然にできるようになるかもしれませんね。それがお客さんに楽しんでもらえるものに仕上がれば、なお嬉しい。その中のどれぐらいのものが“露の都の落語”と呼べるような自分の財産になるのか、わかりませんけど……。

大変な時期を乗り越えた経験は、必ず自分の糧になる

U29といえば娘と同じ世代ですが、皆さんもこれからの人生で、好きなことをひとつでも持てるといいですよね。仕事でも趣味でも、これがあれば苦労を乗り越えられるというものが見つかれば、年齢を重ねてもイキイキと生きていけると思います。
それから、人生には絶対にふんばらなきゃいけない時期がある。でもそういうときは一時で、「いつか終わりがくるから、逃げないで受け止めてみては」と思います。そこで培われた力は、その後の人生に必ず役に立ちます。私もそうでしたから。私はしんどいなぁと思ったら、「大丈夫、絶対大丈夫や」「負けへんで」と心の中でつぶやくんです。そうすると、「よぉし!」ってやる気が出るんですよ。

女性落語家 露の都さん

還暦を迎えて「まだまだこれから」とイキイキした表情で語る都さん

女性落語家 露の都さん

露の都
1956年生まれ。大阪府堺市出身。上方(関西)落語界で活躍する日本初の女性落語家。1974年、露の五郎(後の露の五郎兵衛)に入門。人情噺や滑稽噺など古典落語を中心に幅広い演目に取り組む。おばちゃん口調で語る枕(本題に入る前の小噺のこと)“みやこ噺”のファンも多く、その生き様を笑いと涙で語る講演会も人気。「東西女流落語会」主宰、上方落語協会初代女性部長。

(インタビュー/高山和佳 構成/風来堂 撮影/清水信吾)